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学生の時は、法律を主に学んでいました。数ある法律の中でも刑法が大好きで、刑法だけを追求していました。気づけば4年生になり、就職のことも考え始めて、初めて、「刑法だけをやっていても何にもならない!」ということに気づき、一念発起。大学の交換留学のプログラムを利用し、カナダのトロント大学への留学を志しました。
留学前ももちろん、語学学習は好きで、単位を取り終えてからも好きな先生の授業や、ネイティブの先生の授業に聴講生として参加をしていました。それから、語学学校にもしばらくの間通っていました。最終的に行く前には、最低基準であるTOEFL550点を超えることが出来ました。
そもそも私が法学部に進んだのは父の影響が大きかったです。父が「法学部に行け」、と言うので言われるがまま進んだ道でした。法律の勉強自体は大変楽しいものでしたが、それを仕事に結び付けるということはなく、語学を仕事にしたい、といつしか思うようになりました。
高校生の時から地元の学習塾で様々な科目を教えていたことも手伝い、私の中で、「教師」になるという選択肢は自然と決まっていったのを覚えています。一方で、父は「教師」という職業自体を低く見ていたきらいがありました。
逆にこれが、私が留学するうえで、『父親も認めてくれるぐらいのきちんとした語学力を身に着けてこないといけない』と強く思うようになったきっかけになりました。今にして思えば、父親の反対があったからこそ、乗り越えられたのだと思っています。
私はカナダのトロントに2010年9月~2011年6月まで10ヶ月間滞在しました。
滞在した場所はトロント大学の学生寮 (Rowell Jackman Hall)で、部屋の中では3人のカナダ人学生 (女子学生2名・男子学生1名)との共同生活でした。
申し込むときに「一人部屋」を申請していたのに、いざ到着したら、部屋の中に3人も居て驚いたこと今でも覚えています。
正面の大きなドアを開けるとさらにドアがあり、私の部屋 (一人部屋)がありました。同様に、部屋が他に2つ (1つは男子学生用、もう1つは2人の女子学生用)ありました。
つまり、ここで分かったのは、私には“roommate”は居なかったのですが、 “suitemate”と呼ばれる上記の3人が居ることでした。最初は自分の言いたいこともきちんと伝えられないし、相手はネイティブの、しかも高校を卒業したばかりの18歳ということもあって、(当時の私は23歳)本当に辛い思いをしました。
彼らとはキッチンやcommon roomと言われるソファーやテレビの置いてある部屋、またトイレとシャワールームを共同で使う生活でした。つまりこれが“suitemate”の定義ということになると思います。
学生寮とはいえ、セキュリティはしっかりしていて、各人にスイカ(Suica)のようなデジタルのカードと、普通のカギの2つが与えられました。デジタルカードは正面の大きなドアを開けるために使い、もう1つのカギは自分の部屋へ入るために使うものでした。当然ながら、このデジタルカードはsuitごとに異なっているので、セキュリティ面では大変安心しました。
授業にも寮生活にも慣れてきて1ヵ月がたったころだったと記憶しています。
suitemateの1人のJulianaは大変かわいく、男子学生たちにも人気がありました。最初の内は、英語に不安もあった私に対しても大変明るく、優しく振る舞っていたため、良かったのですが、時が経つにつれ、夜遅くに他の部屋に住んでいる男子学生たちがこぞって(大抵酔っていましたが)Julianaに会いにドアを叩くことになりました。
中央のドアを開けるためには先ほど書いた、私たち4人しか持っていないデジタルカードが必要で、私はその中央のドアから一番近い部屋に居たため、ドアを叩く大きな音に夜中に起こされることが何度か続きました。
週末だけならまだしも、翌日1時限目から授業があっても、お構いなく、パーティー三昧。翌朝、Julianaを見つけては、たどたどしい英語で「昨夜はお前の友達に起こされた」、「静かにしてくれ」と再三にわたって伝えましたが、彼女は「私は初めて親元も離れ (彼女はWinnipeg出身でした)、自由に暮らしたいの。あなたは10代じゃないし、私の気持ちは分からないわ」と言われました。
これは寮生活の決定的な悪い点かもしません。私はトロントに英語教師になるため、父親に認めてもらうために、勉強をしに行ったのであって、遊びに行ったのではなかったので、そもそも彼女とは目指すところが違っていました。
しかし、今にして思えば、ここで泣き寝入りをせず、また弱音を吐かず、自分の気持ちを英語で一生懸命に伝えたこと、そして彼女ともよく話し合ったことは自分の英語力を伸ばす上で1つの大きな契機になったと感じています。
教科書に書いていない英語や、自分の喜怒哀楽を英語で表現することがどれほど自分の語学力を高める上でプラスになったかは計り知れません。
余談ですが、そんな彼女とは日本に帰って来た今でも連絡を取り合う仲になり、出会いとは本当に面白いものだな、と感じます。
留学中は出来るだけ日本人と関わることや、そもそも日本語を使うことを避けることを意識しました。日本にいる家族にもほとんど電話もしませんでした。
そして、一番避けたのは、日本人の彼女を作ることです。余談ですが、私は残念ながらカナダ人の彼女を作ることは叶いませんでしたが、現地では中国人の彼女を作ることができました。
学校外のアクティビティとしては、様々な場所に行き、経験をしました。中でも印象に残っているのは、アメリカとの国境付近にあるナイアガラの滝見学、カナディアンロッキーへの旅行、モントリオール・ケベックへの旅行、CN Towerからの夜景、メジャーリーグ野球観戦、トロント動物園といったところでしょうか。
旅行や遠出の予定のない週末もたいていは、中国人・パキスタン人・インドネシア人の友人たちと過ごすことが多く、出来るだけ異文化との接触を試みました。
お互いにとって母語ではない英語を通して、意思疎通を図ることの難しさとともに、その素晴らしさも肌で感じ、語学を学ぶ本当の意味を知ることができたのもこの頃です。
アドバイスとして言えることは、「何をしに留学をするのか?」という問いに対する答えを持つ、ということだと思います。
留学をすること自体はすごいことでも、特別なことでもなんでもないと思います。それと、短期だから効果がない、とか長期だから効果がある、ということでも必ずしもないと思います。
今、逆に学生を海外に送り出す立場に立つようになって感じるのは、留学をすることによって得るものよりも、留学をすることで就職活動の時期が遅れる心配や、単位のことも含めた心配を口にする学生が多いことです。
22歳で卒業することは、後になって人生を振り返れば大して意味のないことです。それより、自分で自信を持って英語で物事を伝えられる力、理解できる力を身に着けることにどれだけの意味と価値があるかを分かって欲しいと思います。
私のように23歳になって留学を志す人は恵まれていると思われるかもしれませんが、逆に4年間という大学生活を通して、自分が「本当にやりたいこと」に気づくことができましたし、それによって、自分が「何をどうすべきか」ということに気づけたと思っています。
留学を志される人にとって、留学が自分の夢に向かっての1歩となることを祈念して。。。
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非常に経験豊富な講師が多く、フルタイム講師の平均勤続年数は9年です。
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